大人の役割についての考察
「そんな見た目で卒業式には出さないからな」
中学校の卒業式前日、私は制服のスカートの丈と化粧を理由に、輪になった教師10人に囲まれていた。体育館に、西日がさしていて、教師たちの顔が黒く光って見えた。
自分なりに妥協して長くしたスカート丈は、その輪の中にいる教師ひとりに「これくらいならセーフ」と言われたものだったけれど、どうやら他の教師の眼鏡には敵わなかったらしい。それを言った50代の女性教師は、申し訳なさそうに、何も言わず、床を見ていた。
中学校の教師から言われた言葉と共に、10年以上たった今も鮮明にその場面が思い出せる。今でも教師という職業にアレルギーがある。子どもの頃の記憶を忘れ、鈍化した感性のままで生きている大人が、少なからずいる。
自然と触れ合う自由な雰囲気の保育園を卒業した私にとって、たくさんの意味不明なルールやテストの点で序列がつく学校は異次元だった。
小さい頃の私は落ち着きがなく、小児喘息を患っていて、体が弱かったのでしょっちゅう入院していた。休みの間に抜け落ちた知識を授業の中で取り戻すのは、簡単なことではなく、いつも教科書に落書きをして時間がすぎるのを待っていた記憶がある。
つらい、さみしい、とか、素直に伝えることを学ぶ機会に恵まれなかったのか、それを習得できていなかったわたしは、中学校に入ると勉強だけでなく人間関係もうまくいかなかった。今思えば子ども同士のトラブルで済ませられないこともあったけれど、気付いて助けてくれた大人はいなかった。
やけくそになった私は、学年で1番下の成績を這いながら、好きだった香水やメイクをこれでもかと施して登校していた。田舎で相貌は異常に目立っていたのだろう、教師から多くの小言を言われたけれど、私はやめなかった。やめたら、自分のアイデンティティを失う気がしたから。
事態を変えるきっかけとなったのは、高校受験を控えた3年生の夏の3者面談で教師から言われた一言だった。出席日数、学力ともに基準を満たしておらず、公立では行ける高校がないだろう、とのことだった。
先生から見せられた高校のパンフレットには、見たこともない土地の高校ばかりで、
他人事のように、そりゃそうだろうな、と思ったが、親はその時初めてことの深刻さを知り、私はまるでついていけていなかった集団の塾から個別サポート型の個人塾に通うことになった。
新しい塾に対して期待もしていなかったし、どの高校でも、ここから出ていけるならばどこでもよかった。
ところが、個別の学習塾に通うようになって、わたしの人生の方向は大きく変わったのだった。学力が、信じられない勢いで伸びたのだ。担当だった先生に恋をした古文は、10点代だった試験の成績が2週間で100点になった。
集団授業では集中力を保つことが難しかった私には、好きな時に質問できて、個室で勉強できる環境が合っていたことが大きな要素だったようだ。
だけど、1番嬉しく、やる気を起こしてくれたのは、わたしを平等に扱い、出来た時にはともに喜び、わからない時は根気強く教えてくれる、信じてくれる先生がいたことだった。
たくさんおしゃべりをした。多くは大学生や大学院生で、大人の友達ができた気分だった。「校則が厳しいのが嫌なら、○○を目指せば?狙えると思うよ」そう言ってくれたのも、塾の先生だった。
塾が楽しくて通っているうちに、気付けば季節は夏からあっという間に冬になっていて、私はついに受験シーズンを迎えた。
当時の学力からは高い目標だった志望校には、内申点と面接のみで審査される前期試験、テストのみの後期試験があった。前期試験で既に不合格通知を受け取っていた私には後がなかったのだ。
当日のことは、記憶が抜け落ちたようにもう思い出せないが、その前日まで自習室で勉強をしていたこと、合格発表の日のことは覚えている。
数週間後、試験結果を見て、ぼーっとしていた私に、夕方近くになって塾長から電話が入った。
「おい! 結果は! どうだったんだ!」
「あの、合格しました」
そう、私は志望校に合格していたのだった。
電話の向こうで、塾長はすごく喜んでいた。そして、もっと早く言えよ、とも言っていた。私はその時に初めて、自分に期待して、待っててくれた人がいたことに気付いた。
もうその高校を卒業してから10年が経つ。
私は大学に進学し、新卒で入った会社で、それなりに社会人をしていたけど、
やっぱり組織に馴染めなくて、新しい生活を始めようとしている。
先週、高校時代の友達とクリスマス会をした。
同級生の子どもと遊びながら、小さくても色々考えてるんだろうなぁと想像する。
あの頃の大人たちが教育システムが完璧でなかったこともわかる年になった。だけど、やっぱり子どもだった頃の記憶を無くした大人にはなりたくないと思う。
信じる姿勢を持つ、子ども相手でも約束は必ず守る大人になりたい。
学校でも、家庭でもない場所で、あの頃の自分のような子に出会った時のために。