Neither ネギタマネギ

「私、ねぎも、玉ねぎも食べれない」と、勇気を出して伝えた。

手に汗を握るほどではないけど、5秒くらい、本気で伝えるか迷った。

 

日曜日の15時を過ぎた時間、海岸線を歩いて、20分。

12月だというのにその日は小春日和で、歩いていると汗ばむ。

観光地であるこの町にあるその小さな通りは、歩いていると誰も気付かないような

砂利道の奥に、趣のあるカフェや小さなケーキ屋さんが連なる。

その通りにあるひとつのお店に、近所に住む友人と待ち合わせて来ていた。

 

古民家を改装したその店は、いろいろな種類のベーグルを売るお店で、

お洒落で素朴なその店内に10名ほど食事ができる席がある。

キッチン、カウンターどちらも女性ひとりづつで運営していて、こじんまりとした店だ。

 

お昼どきも過ぎたその時間は店内もまばらで、

親切な店員さんがちょうどランチの時間が終わったところだが、お腹が空いているようであればランチプレートも用意できると言ったので、お言葉に甘える。

 

ベーグルにしらすと岩のりを挟んだサンドとスモークチキンのサンドはどちらも魅力的で、しばらく考えたあとに友人と私はどちらも頼んでシェアすることにしたが、ここでも店員さんは親切で、ここでも半分づつ切ってプレートにして出しますよと言ってくれた。

 

私は、メニューにのった写真を見てさっきから一抹の不安を抱えていることを言いだすべきかどうか迷っていた。

しらすのサンドには私の苦手な青ネギが、スモークサンドにはもっと苦手な玉ねぎが入っている。シェアするということは、私のだけでなく友人のベーグルからも抜くことになる。

 

つまり、もし店員さんに抜きにしてということをすれば、人によってはかなり重要な脇役である青ネギあるいは玉ねぎ抜きを、友人に我慢させることになるのだ。

 

人によってはそんなのとっとといえばいいじゃないかと思うかもしれないが、そういう小さな出来事ひとつとっても、心の癖というものはありとあらゆる場所で顔を出すものだと思う。

 

昔から自分の素直な感情、特に嫌いとか怒り、悲しみといったネガティブな気持ちを表現することには極端な苦手意識があり、外にだす前にその感情に蓋をしていた。

 

今思えば、素直に「構ってほしい」「寂しい」と言えた方が、怒ったような顔でブスッとしたり、気をひくためにしょうもない小さな嘘をつくよりもずっと良い方法なのだが、子どもはその時に周りの大人の反応や子ども社会の中の立場の変化で、時に誤った学習をし、それを大人になるまで繰り返し続ける、ということは良くあることだと思う。

 

素直な気持ちが言えない故に微妙な心境になることは大人になってからの方が多いかもしれない。

 

家族や恋人相手に本当は「大切にしてほしい」ということが言えずに攻撃的になったり、

その場では笑って流したけど後から失礼なことを言われていたと思い直してあの時怒るべきだったとモヤモヤしたり、

大人数でケーキやお菓子を選ぶ時に、本当はひとつしかないチョコレートケーキがほしいのに、「私は残ったのでいいよ」と言ってしまって、残ったお菓子を食べながらなんだか切ない気持ちになることは、誰にでも経験があることなのかもしれない。

 

人には拘りたい部分とどうでも良い部分があって、なんでもいいよと相手の気持ちの尊重をすることは思いやりと言い換えることができるかもしれない。

だけど、そのどちらなのかわからないままその時の自分の気持ちを無視して歩み続けると、ある日、自分の欲求センサー自体が鈍感になって、人生レベルで自分がどうしたいのかわからなくなる時が、くるんじゃないかと思う。

 

幼い頃に自分の素直な気持ちを出したけど受け入れてもらえなかった経験があるとか、

そもそも自分の素直な感情表現ができない、学べない環境にいたとか、

人それぞれ原因は違うと思うが、大切なのはそんな自分の心の癖が生きづらくなっている要因かもしれないと気付いた瞬間から、意図してどんなに小さな感情でも気付いて表現をすることだ。

 

 

「私、ねぎも、玉ねぎも食べれない」

とうとう店員さんに注文する時になって言い出した私に友人は、

「あ、私も玉ねぎ食べれない。でも、青ネギは食べたいかなぁ」と友人なりの好き、嫌いをさらっと表明した。

それを受けて店員さんは、「じゃあどちらも抜きにして作ってから、片方に青ネギを入れますよ」と先ほどと変わらぬ親切な笑顔で去っていった。

 

 

人の心は、目に見えないし、形もない。自分で形作らないと、相手には見えない。

好きと嫌いを言葉に、行動に、態度に表していくということは、目の前にいる相手に影響を与えるということでもあり、信頼して飛び込んでいくということでもあると思う。

 

それが跳ね除けられた時に受ける傷を思うと怖いけど、自分の心の形が自分でわからないことの方が、怖いことなのだと思うようになった。

 

手間をかけてくれたからか少し遅れて出てきたベーグルサンドはすごく美味しくて、お土産用にいくつも買ってから、私は友人と別れたのだった。