カラダは全て知っている
最後にゆっくり自分の体と会話したのはいつだろう。
耳は高校生から、喉の締め付け、吐き気は20代になってから。
起き上がれないような不調や耐えられない痛みなら病院に行くし、その症状を消すために薬を飲む。
だけど、誰にだって病院に行くほどでもない、症状が出た時にはじめて思いだすような、そんな不調がひとつやふたつあるのではないだろうか。
最近、立て付けの悪くなった網戸をそのままにするように、いっぱいになったゴミ箱にさらに力を押し込めてゴミを捨てるようにして生きていた節があることに気付かされる出来事が、立て続けにあった。
今日は、その話をしたいと思う。
朝の満員電車や、窓のない部屋、人混みの雑踏、聞きたくない話題。そういう環境に身を置くと、昔から必ずと言っていいほど、右耳が塞がれたような感覚になり、自分の呼吸や声がこもって聞こえる症状が出た。驚くほど自分の声や呼吸の音が暴力的な大きさになるので、人と話すことが辛い。
あまりにも長い付き合いすぎて、時折その症状が出ても「またか」と、ただの煩わしい存在だと思っていたのだけど、その日ヨガのワークショップに参加した時に、クラスの中で目を閉じて深呼吸をしている時、たまたまその症状が出た。
またかと思いながらも深呼吸を続ける。
吸って、吐く。
また吸って、吐く。
大地にそよぐような風の音が、自分の中に聞こえる。
すると、自然と頭に「この症状が出ていると、自分の呼吸が聞こえすぎるくらい聞こえるなぁ」という考えが浮かぶ。
あれ。ふと、もしかしてこの症状は、自分の中の音を聴かせるために起こっているものじゃないのかと思い立つ。聴いて!!!!という叫びに似たもの。
ずっと煩わしく思っていたけど、もしかして、自分に合わない環境に身を置いた時に、警笛を鳴らし続けてきてくれたんじゃないか?
自分の内側を、ちゃんと聞いて、と。
もしそうだとしたら、ここ10数年、私が辛い環境に身を置いた時にどうにかならないように、私の耳が敢えてそうしてくれていたということじゃないか?
どうして今まで気付かなかったのだろうと不思議に思いながら、自然と涙が頬を伝うのを感じていた。
この右耳は、ずっと私を守ってきてくれたんだ。
なのに、ずっと気付かず、ネガティブなイメージをつけて、ごめん。ごめんね。ありがとう。
そう心の中で唱えた瞬間、私の耳のこもりは消えた。
また別の日。
整体のモニターを受けた時の話。
その日、仕事の繋がりからの縁での知り合いの方の整体のモニターを受けるために電車で向かう私の胸中は、不安でいっぱいだった。
私は今、自身の今後について選択を迫られるような岐路にいる。したい選択をすることで失うものに意識がいってしまい、なかなか選択する勇気が持てないでいた私はそんな自分が嫌で、その嫌な気分を引きずっていたのだった。
不安な気持ちをなかったことにしたくなくて、意識的に胸の前に手を当てる。徐々に暖かくなって、不安が少し溶ける。
整体の前に自身の不調や心身の状況についてお話ししながら、長年喉の締め付けや、常に舌に力が入っていて、脱力した感覚がないことも伝える。
きっと言いたいことを飲み込む癖があることが原因だと思うとお話しすると、今の自分を見透かされたように、「胸や喉に不調を感じるなら、本当の気持ちが固く閉ざされてしまっていたりするのかもしれないね」と言われた。
喉や胸が固く閉じていると、肩も内側に入ってきて姿勢も悪くなりやすいとのことだった。
何よりも、そんな喉や胸の不調を煩わしく思っていた自分に気付く。
右耳と同じように、私の喉は時に誰かを守りたくて、時に自分より誰かを優先して閉じていっていた。周りの幸せを、自分なりに願って生きてきた結果だったと思った。
喉に手を当てて、ありがとう、と伝える。
その後、不思議なくらい自然に、私は自分の本当の気持ちについて話し始めていた。
私の喉は胸は開いていて、体は軽かった。
頭を経由することなく、感じていることをそのままに話す。
体にも感情は溜まるということを教えてもらった。
怒りが、積み重なって溜まっていたこともわかった。思い当たる節もある。相手のことを考えすぎて、自分が飲み込んだあの時の怒り。
私たちの体の不調は警笛のために敢えてそのように反応してくれていることがあるらしい。
不調を感じている部分にこそ手を当てよう。
なぜそうなっているか、聞いてみよう。
心も体もそうなるべくしてそうなっている。
だから、どんな感覚もなかったことにしない。
ネガティブな部分を担ってくれている自分の心を、体を、見ないふりをすればするほど、気付いて!と呼びかけてくるから。
あなたの体に不調はありますか?
何を伝えたくて、そこにいてくれると思いますか?