サキノバシグセの特効薬
あなたの余命は半年です。
そう告げられたら、人はどんな反応をするのだろうか。余命半年という数字は妙にリアリティを帯びていて、贅の限りと怠惰に身を任せて生きるには、長すぎると思われる。6ヶ月。180日。
つい先日、余命半年の宣告を受けた。
今から半年後、2019年4月12日が私の命日となる。
思えば、幼い頃から夏休みの宿題は8月31日にやったし、高校生になれば9月を過ぎて、提出をしなければ留年と脅されて始めて渋々手をつけるような人間だった。大学は就職活動がしたくないがために休学をし、内定を得た企業への返事は最終締切日が来てしまったからという理由で入社を決めた。
社会人になってからも期限ギリギリ、前日一夜漬けのやっつけ仕事は日常茶飯事。イベントの誘いには「未定」で答え、結局当日になって苦々しい気持ちでキャンセルを押すのだ。
日曜日がいつまでも続くようスマホをいじり過ぎた結果睡眠時間3時間の月曜日を迎えることは毎週の恒例だ。メールやラインの類は「あとで時間ができた時に返そう」と開いたまま、後々それが消化不良のように体のどこかに残り続ける・・・
そう、わたしは正真正銘の妖怪・サキノバシ人間なのだ。
妖怪サキノバシ人間の生態は、未来を見据えた上で、「今の選択」をしようとする時、その時目の前にある安易な選択肢を手に取りがちということだ。
よく言えば今を一番大切にして生きるとも言えるし、悪く言えばいつかいつかをしている内に命の終わりを迎えてしまうような、痛みを内包して得たことがある者しか知らない、覚悟というものを持つのがどうにもむずかしいと言えるだろう。
脳が短期的な報酬を求めてしまいがちなのだ。
本人のせいというよりも、もともと気質に加えて習慣によって得られる達成を学ぶ機会に恵まれなかった悲しい運命の被害者でもあるのだ。
そんな妖怪サキノバシ人間の元に突如現れた余命半年宣告。ただし、医師からではない。
「余命半年だったらどうする?」というイベントで、主催者から言われた言葉である。
あなたは、半年後2019年4月○日に1度死にます。
本当に死ぬってわけじゃないが、もし、そうだとするならば。やりたいことはなんですか。と問われたのである。イベントは20人近く参加者がおり、主催者はすでに余命半年プロジェクトを始めていたため、様々なエピソードが飛び出してくる。
「別に何も変わらないと思う、そんなにやりたいこととか、わたし、ないし。」という女子から出てきた、「私、セックスしてみたい。死ぬ前に。」という宣言。「妊娠してみたい。妊娠した体を経験してみたい」という、出産願望ならぬ、妊娠願望宣言。
その場の会場に漂う、不思議な命の叫び。
妖怪サキノバシから出てきた願望は、
①「結婚式がしたい」
②「目立ちたい!もっと私自身を表現してみんなに知ってほしい」
妖怪自身も驚きだった。
なぜならば、「結婚式なんて金儲けのビジネスで、みんな同じような式にお金だけかけて、もったいない」「そもそも結婚が目的になるような考え方だから相手を損得勘定でしか見れないんだ。結婚すれば幸せになれるなんて幻想に振り回されて不幸になるのは大きな過ちだ」などと宣っていたのはつい先日の自分自身だからである。
それは最近はじめて共に人生を歩みたいと思えそうなパートナーに出会ったからかもしれない。その日から、私はウェディングドレスを飾るショーウィンドウの前で立ち止まってしまう女になった。
思えば幼い頃は、人前に出るのが大好きで、主役は自分だと思っていた女の子は、いつしか自分が目立つことは他の人に嫌な思いをさせることだと思い込み敢えて目立たないような場所に自分を置いたり、脇役に徹する仕事を選んできた。
本来の目立ちたがり屋の気質を消し去れないまま、いつしか自分の素直な欲求に正直になれないちぐはぐな妖怪になっていたのだ。
あと180日後に1度死ぬのであれば、自分を発露することによって人と繋がりたい!という自分の欲求を知った妖怪は、このイベント直後に、
「もし半年以内に命に終わりがくるならば、あなたと結婚式がしたい」とパートナーに宣言し、
その後数日悩みに悩んだ後に、自分自身について語る3000字の文章をFacebookに投稿し、想像を遥かに超えるリアクションを頂くこととなる。
そこから始まった渦はその後も続き、会いたいと思っていた憧れの人に会えることになる。自分自身のポートレートをプロと一緒に作品作りすることになる。
妖怪サキノバシ人間が余命宣告を受けることで、
いつか が 具体的な日付に変わったのである。
先延ばし癖がある人は、完璧主義な人が多い気がしている。全力で取り組みたいからこそ、全力でやれるタイミングを見計らっているのだが、終わりのないカレンダーに、予定はいつまでも書き込まれない。終わりの設定は、願いを、計画にしてくれる。