いま ここ ということ

3日間の旅行に言った。千葉県は私が思っていたよりもずっと広かった。

休みとはこうあるべきと思うような 一緒にいる時間を心から楽しむ

そんなことができる人に囲まれて 私まで楽しく 浮かれた旅に。

 

道中 旅を一時離れて電車移動をした1日は 半日電車の中で、

「人を助けるひとは なぜ自分を助けられないのか?」の帯メッセージが「私のことかな?」と刺さりすぎてアマゾンでポチったこの本を読んでいた。

人を助ける人というのは、いわゆる対人援助職と呼ばれる

何かしらの技術を通して 直接人への生きづらさへの支援をする職業で、

医者とか心理士とかソーシャルワーカーとか学校の相談員さんとかまぁ色々。

 

対象は社会の中で何かしらの「援助」を必要とする人で、障害や疾病がある人から社会的なマイノリティ(シングルマザーとか、LGBTとか、老老介護とか)の人まで、

明確には定義されていないと思う。「援助が必要」なら誰でもそれに該当するし

助けてもらう立場であり、同時に同じ人がまた助ける立場であることもよくある。

まぁその連鎖で社会は成り立っていると思う。

 

私のやっていた仕事もいわゆるそれに該当するので、「対人援助職あるある」というのは、現場で働いていた5年間で自分自身も同僚の様子も、自分の感情を統制しながら数時間ネガティブな人の話を真剣に聞くことの大変さや「応援したいと人としての自分が思えない人」の支援を行う時の葛藤、そうしたことを通して支援者自身が疲弊していくのを嫌という程見てきた。

 

他の仕事は真剣にしたことがないのでわからないけど、

「サービス提供」にあたって、対人援助職というのは「支援」という目に見えない、かつ目の前の人間から直接的に提供される、媒体が「人」であり扱うものが「人の人生」であることなので、かなりダイレクトでストレスがかかりやすい特殊性があると思う。

 

 この仕事は人間に興味がある人にとってはかなり面白いけど、

自分を救うためにやっている人にはいつか糸が切れる瞬間がくるのではないかと思う。

まぁ実際、テキトーにやっている人間もいるから鈍感な人の方が続けやすいんだろうなとも思う。金は稼げないので、食い扶持としてこの仕事を選ぶことはお勧めできないし。

 

そんな対人援助職の人をモデルにしたケースも紹介されていて、

ひとつ前の記事にも書いたけど、私は典型的な「人を助けるけど自分を助けられない支援者」だったんだなぁと、思う。

 

話がずれたけど、

この本は読みながら何回か泣いてしまった。特にヨウスケさんのケース事例の紹介は

人が変わりたいと願えることはとても美しくて、心動かされた。

だからと言ってマインドフルネスとスキーマ療法をさらに深く学びたいとは思わなかったのだけど。

マインドフルネスもスキーマ療法も知らなかったけど、

マインドフルネスはヴィパッサナー瞑想でやっていることと手法は違えど「いま ここ」という感覚に注意を向けることはほぼ同じことだし、

スキーマ療法についても、いわゆる「潜在意識」と呼ばれる無意識レベルの刷り込みや思い込みと大いに通ずるところがあった。

 

みんな精神科や心療内科には行かないけど占いや前世や催眠療法、霊視とか民間で行われる者には高い金を払っていくし、実際それに救いを求めることも多い。形は違うけど以外と中身は似ていたりする。みんな癒しや答えを求めていろんな形のセラピーを探し求める。

 

誰もが助けがあって生きていける。

助ける側に立ちやすい人は、自分も時に助けてもらう立場であるということを忘れる。

思ったままを口に出さず、相手の受け取り方を考えて言葉を選ぶ癖がついてしまって、

それができないと、傷つけたのではないかと後悔する。

 

まずは自分の潜在意識レベルで求めている欲求を知り素直に。

同じことが何回も繰り返されるのは、気付きのためのサインが何回も送られているのに、自分が気付いていないから。

 

文章を書いて誰かに見てもらうことは私にとってセルフケアのひとつ。

読んでくれてありがとう。