すべては起こるべくして起きている

今日は月 1度のメンタルクリニックの受診だった。

薬は出てないから、認知行動療法にあたる精神療法という名目で 日々感じたことを書き留めて それを医者に見せてフィードバックをもらうということをしてもらう、通称交換日記

 

この交換日記の効果はわたしにはとても効果的で

書くというプロセスを通じて自分を客観視したり

フィードバックを通じて 自分の認知の偏りに気付いたり なんだかんだ はじめて4ヶ月経過したけど

 

書くという行為自体がこのブログと同様 今は 生活の中での習慣というかないと困るような位置付けになるまでに 大切なことになった。

 

そもそも、人間の頭の中には意識無意識含めて膨大な思考感情が渦巻いていて  それを口に出すということは 自分の中の情報を自分で編集してアウトプットするということなのだけど、

わたしはとてもそれが昔から苦手だ。いきなり話せと言われても 頭の中で情報を統合することもさることながら

話すトピックか否か考えすぎてしまったり 相手に話すべきことかどうか迷ったりしてしまう警戒心も相乗効果で 信頼しきれていない人や前後の文脈を知らない人にいきなり話せといわれても「。。。まぁわたしのことはそんな話すことでもないですし」とテキトーに切り上げるのが一番楽であり、生きる手段でもあった。

 

感情を表に出にくい人でも 健やかに生きている人はいる。ただわたしの場合は感情を表に出すか出さないか というよりも このもやもやの正体がなんなのか 言語化出来ないことで自分の中の感情と認めることが出来なかったことが 感情を出せず、ストレスを溜めに溜めた要因だった。

 

そういう経緯もあって

書き始めた時は そもそも何を書いて良いかわからなかったり 読み手を意識しすぎてしまったりして

なかなか自分の中身をシンプルに炙りだせない時期もあったけど、

書き出したものを読み返す、同じ単語が出て来てないか見直す、フィードバックをもらう、揺さぶられる感情や思考に出会ったらまず書き出す、というプロセスを通じて、自分が何を考えているのか、何を感じているのか ということを よりシンプルに観察できるようになってきたと思う。

 

感じてはいけない感情はない、という言葉は精神科医名越康文先生の言葉だと以前 どこかで見たけれど、否定も肯定もせず ただ そこに反応があるということを認めるっていうことが、いかに精神衛生上必要なのかっていうことを自分の体を使って学んだ気分。

 

ということを踏まえて、

あー うつ になって良かった

あー 順調に仕事がいかなくて良かった

すべては起こるべくして起きてるんだな

自信がないのも

言葉にしづらいのも

すべて 意味付けをしてるのはわたしだったと

気付くことができて良かった、と思うのです

 

まぁ 正直 4ヶ月休んで 服薬なしで良くなるのは鬱じゃないけどな。鬱ってもっとすんげーものだぞ と

今まで見てきた人を見ていて

気軽にうつ とかいうものでもないなと最近思うんだけど。

 

流されて生きていく。