自信が無くても良くないですか?
「俺(私)、自信ないんだよね」と話す人に会うことがたまにある。
まるで自信がないことがその人の人生の足かせにでもなっているように。
一方で「自信があっていいな」「自信過剰だよね」等、自信という言葉はいつもそれがあるかないかで人生が順風満帆にいくかどうかの使い方をされることが多いように思う。
そういう人に出会った時、私はいつも過去の自分を思い出す。
ちなみに、過去の話をしたからといって、今の私が自信満々な訳ではない。
だけど、前よりもずっと自分のことが好きになっているとは言えると思う。
何が変わったのかと言えば、ひとつの言葉に出会って、今まで見えなかった景色が見えるようになった、という表現が正しいと思う。
20代の最後の年に差し掛かるまでのほとんどの時間、どうしたらもっと自分に自信を持って生きれるかを考えることに時間を費やしてきた。
考えざるを得ないほどに、私は私のことをどうしても好きになれなかった。
過去を思い返すと、学生時代のうまく行かなかった事ばかり思い出すし、逆にうまく行ったことはよく思い出せない。社会人になってからも自分の仕事のパフォーマンスに自信が持てず、上司との面談では、いつも「自信がないよね」と言われ、「そうなんです……」と小さくなっていた。
色々な人が「自信を持ちなよ」と言ってくれるのだけど、ちっとも響かない。
それどころか、褒めてられると「どうせ褒めるところがないからそう言ってくれてるんだ」と卑屈に受け止め、逆に指摘されたことに関しては100倍くらいの重さで受け止める。元々物事の受け止めかたにかなり偏りがあったことが、今なら理解できる。
どう見えているか過剰に気にしてしまったり、人との比較をして自分にないものを探す癖が付いているから、人と会うととても疲れる。いつからか、私は気軽に人と会うことを嫌うようになって行った。自意識過剰だということもわかっていながら自分のことばかり気にする自分も嫌いだった私は、いつもこう考えていた。
自信があれば。
自信があれば自分を受け入れられるのに。自分を受け入れられれば人と比較しなくなるのに。
だけど。
正直、自信という言葉に疲れていた。
今まで色々考えても、本を読んでも、何かにたくさんチャレンジしても手に入らなかったものについて考え続けることにも。
本当に自分を受け入れるということは、自信がない自分でも良いと思えることだ。
頭では理解している。けれど、心がそうは反応しない。
そういう状態が長らく続いた後、ストレスで5年続けた仕事を休職。
失意の底にいる時、たまたまツイッターでみた呟きの一つだった。
「自分の好きになれない部分の、自分に良い影響を与えてくれた、あるいは価値があると思える側面を考えてみると良い」と。
たったこれだけ。なのに、私には目から鱗が落ちる思いだった。
自分の嫌いなところの良いところ?
自信が持てないところ。
人の目を気にしすぎるところ。
不安が強いところ。
その癖協調性がなく、落ち着きもないところ。
自信が持てない故、いつでも自分はこれで良いのか?と向上心を持てた。
人の目を気にしすぎる故、人の表情や目線の変化に気付くサービス業が向いていた。
不安が強いが故、重要な決断が必要な場面で迂闊な判断をして失敗したことがなかった。
協調性がなく皆と同じことをするのが嫌だから、人が思いつかないアイディアを出すことが出来た。
そういう風に、自分の短所と思っていた部分に一つ一つ光を当てていく。
私をここまで運んできてくれたのは、自分が短所だと思っていたところだったのだということに気付く。
今まで、自分は常に何かが足りないと思いながら生きてきた。
足りていないものを手に入れれば完璧になれると思っていたけど、ないものを掲げて人と比べると永遠に不足に苦しんで生きていくことになる。
だからこそ、今持っているものに光を当ててみることが必要なのだと思う。
そこには、自分しか持っていないものが、気付いてもらえるのを待っていたりする。
だから、「自分に自信がない」と悩んでいる人に今の私はあえて言いたい。
自信がないことの負の側面はある。だけど、自信がないことの良い側面もある、と。
苦手分野やコンプレックスは誰にでもあるし、それを解消するために努力した結果それを克服することは素晴らしいことだと思う。
一方で、人の苦手なことやコンプレックスは時にその人自身の魅力となる時もある。
自分について無駄に考えた時間とエネルギーがあれば、この年になるまでに何ができただろう。そう思いながらも、この経験をしていなければ語れない薄暗さがことがあると信じている。
自分自身の影の部分に光を当ててみて、本当は愛すべき可愛さじゃないかどうか、
見返してみてほしい。
より良い自分になりたくて必死に頑張ってきたもうひとりの自分が変わる必要が本当にあることなんて、そんなにないのだと私は思っている。
ただの雑記
今日は立冬らしい。
とーちゃんの誕生日。
生きていれば71歳だった。70代と聞くと一気におじいちゃん感が出るよね。
わたし、三人兄弟の末っ子だからな。
今まで11/7が立冬ということすら知らなかった。
とーちゃんは知ってたんだろうか?
わたしに、人の痛みに敏感になりなさいと教えてくれたとーちゃん。
大人になってから、唯一、言葉に出して教えてもらったことかもしれない。
でも、人の痛みに敏感になるということは、自分の痛みに鈍感になることではないよね、と思うよ。
わたしもわたしなりにいろいろ経験してそう思う。とーちゃんは、なんて答えるんだろう?すこし黙って、お酒を飲むのかな。
実は、本音は何を考えていたのか、大人になってもわからないところがあるんだけど。
人って、今のわたしが思うより明瞭ではなくて、矛盾していて、かつ自覚的でなく、そうやって、各々が生きている気がする。
肉体を離れて、今とーちゃんはどうしてるかな。
もしかして、もう他の人に生まれ変わってるのかもしれないな。
なんせ、もう1年が経つ。あれから。
たった3ヶ月前の自分にだって、今の自分の状況が想像できただろうか?
否、出来なかったと思う。
いろいろなことが変わった。
何より、自分が変わった。
というより、変わらないことを受け入れたと行った方が良いのかもしれない。
次の誕生日で29歳になる。
20代最後の年がもう少しで始まる。
新年の手前、今は助走期間というか、
誰にとっても11月はいろいろな前触れが起こる時期なんじゃないかと思う。
人生が始まっていく気がしてる。
自分の人生を生きていく感覚。
自由と責任。自分でいる勇気。
眠くなってきた。
明日は来るのだ。
明日のことは明日に任せよう。
では、おやすみなさい。
カラダは全て知っている
最後にゆっくり自分の体と会話したのはいつだろう。
耳は高校生から、喉の締め付け、吐き気は20代になってから。
起き上がれないような不調や耐えられない痛みなら病院に行くし、その症状を消すために薬を飲む。
だけど、誰にだって病院に行くほどでもない、症状が出た時にはじめて思いだすような、そんな不調がひとつやふたつあるのではないだろうか。
最近、立て付けの悪くなった網戸をそのままにするように、いっぱいになったゴミ箱にさらに力を押し込めてゴミを捨てるようにして生きていた節があることに気付かされる出来事が、立て続けにあった。
今日は、その話をしたいと思う。
朝の満員電車や、窓のない部屋、人混みの雑踏、聞きたくない話題。そういう環境に身を置くと、昔から必ずと言っていいほど、右耳が塞がれたような感覚になり、自分の呼吸や声がこもって聞こえる症状が出た。驚くほど自分の声や呼吸の音が暴力的な大きさになるので、人と話すことが辛い。
あまりにも長い付き合いすぎて、時折その症状が出ても「またか」と、ただの煩わしい存在だと思っていたのだけど、その日ヨガのワークショップに参加した時に、クラスの中で目を閉じて深呼吸をしている時、たまたまその症状が出た。
またかと思いながらも深呼吸を続ける。
吸って、吐く。
また吸って、吐く。
大地にそよぐような風の音が、自分の中に聞こえる。
すると、自然と頭に「この症状が出ていると、自分の呼吸が聞こえすぎるくらい聞こえるなぁ」という考えが浮かぶ。
あれ。ふと、もしかしてこの症状は、自分の中の音を聴かせるために起こっているものじゃないのかと思い立つ。聴いて!!!!という叫びに似たもの。
ずっと煩わしく思っていたけど、もしかして、自分に合わない環境に身を置いた時に、警笛を鳴らし続けてきてくれたんじゃないか?
自分の内側を、ちゃんと聞いて、と。
もしそうだとしたら、ここ10数年、私が辛い環境に身を置いた時にどうにかならないように、私の耳が敢えてそうしてくれていたということじゃないか?
どうして今まで気付かなかったのだろうと不思議に思いながら、自然と涙が頬を伝うのを感じていた。
この右耳は、ずっと私を守ってきてくれたんだ。
なのに、ずっと気付かず、ネガティブなイメージをつけて、ごめん。ごめんね。ありがとう。
そう心の中で唱えた瞬間、私の耳のこもりは消えた。
また別の日。
整体のモニターを受けた時の話。
その日、仕事の繋がりからの縁での知り合いの方の整体のモニターを受けるために電車で向かう私の胸中は、不安でいっぱいだった。
私は今、自身の今後について選択を迫られるような岐路にいる。したい選択をすることで失うものに意識がいってしまい、なかなか選択する勇気が持てないでいた私はそんな自分が嫌で、その嫌な気分を引きずっていたのだった。
不安な気持ちをなかったことにしたくなくて、意識的に胸の前に手を当てる。徐々に暖かくなって、不安が少し溶ける。
整体の前に自身の不調や心身の状況についてお話ししながら、長年喉の締め付けや、常に舌に力が入っていて、脱力した感覚がないことも伝える。
きっと言いたいことを飲み込む癖があることが原因だと思うとお話しすると、今の自分を見透かされたように、「胸や喉に不調を感じるなら、本当の気持ちが固く閉ざされてしまっていたりするのかもしれないね」と言われた。
喉や胸が固く閉じていると、肩も内側に入ってきて姿勢も悪くなりやすいとのことだった。
何よりも、そんな喉や胸の不調を煩わしく思っていた自分に気付く。
右耳と同じように、私の喉は時に誰かを守りたくて、時に自分より誰かを優先して閉じていっていた。周りの幸せを、自分なりに願って生きてきた結果だったと思った。
喉に手を当てて、ありがとう、と伝える。
その後、不思議なくらい自然に、私は自分の本当の気持ちについて話し始めていた。
私の喉は胸は開いていて、体は軽かった。
頭を経由することなく、感じていることをそのままに話す。
体にも感情は溜まるということを教えてもらった。
怒りが、積み重なって溜まっていたこともわかった。思い当たる節もある。相手のことを考えすぎて、自分が飲み込んだあの時の怒り。
私たちの体の不調は警笛のために敢えてそのように反応してくれていることがあるらしい。
不調を感じている部分にこそ手を当てよう。
なぜそうなっているか、聞いてみよう。
心も体もそうなるべくしてそうなっている。
だから、どんな感覚もなかったことにしない。
ネガティブな部分を担ってくれている自分の心を、体を、見ないふりをすればするほど、気付いて!と呼びかけてくるから。
あなたの体に不調はありますか?
何を伝えたくて、そこにいてくれると思いますか?
助けてください、箱ください
「あー、宅急便は、そもそも梱包して持って来てもらわないと。梱包用に差し上げるとしたら、ゴミ袋くらいですよ」
そのコンビニのおばちゃんは、申し訳なさそうに、そして「普通送ってほしい荷物は自分でダンボールに入れてくるでしょう」と、世間知らずの人間だと哀れむような、絶妙な笑顔で私をレジから退けた。
駅から2分のコンビニで、彼氏との待ち合わせに間に合うための電車の出発時刻まで残り5分の出来事だった。
某オークションサイトで先日廃業した家業で取り扱っていた在庫のタイムレコーダー(時給を計算するために勤怠の打刻をする、あの機械だ)が売れたのはその前夜のことだった。
そもそもは落札者が宛名を知らせずに配送を依頼する、匿名配送希望だと気付かなかったことがことの発端である。
匿名配送は特定の業者を使って荷物を配送する方法なので、コンビニからしか手続きが出来ないのだ。
図らずもはじめは郵便局で箱を購入し、直後にそのことに気付きすでにガムテープを剥がして郵便局の方に箱の廃棄をお願いした後、その足でコンビニに向かったわたしを待っていた出来事が前述のやりとりである。
すごすごとコンビニを出たわたしは、
おまけにつけたタイムカードが100枚入った小さな箱と、簡易な箱に包装されたタイムレコーダー約3kgを抱えて、今優先すべき判断は何かを考える。
自宅に戻るには徒歩20分。
電車の出発時刻が迫る。
約束の時間を守るために取り敢えずどこかに預けておこうという発想に至ったわたしは、観光地である駅前の大量のコインロッカーに預けようと考える。
しかし。
日曜日の観光地の駅前コインロッカーは予想以上に荷物を抱え込んで、500円玉しか持っておらず400円の料金に支払いにまごついている間に、虚しく最後の空きの1つが埋まっていった。
「どうしよう・・・」
箱が・・・欲しい、箱が欲しい、箱が欲しい。
こんなにも人生で箱を欲したことはあっただろうか。へなへなと駅前のベンチに座る。
たかが箱、されど箱。
箱がないとここから動けないのだ。
座り込んだベンチで、ぼーっと考える。
わたしはいつも自分だけの力で解決しようとしてきた。こんな風にいろんなミスが重なって、
たかが箱がないだけで途方にくれているなんて、
これで本当に大人と言えるのか?
謎の反省会を始めかけた時。
「募金にご協力をお願いします!」と、ひとり大声で呼びかける若者が目に入る。施設で暮らす子供たちの進学費用のための募金運動のようだった。
観光地に浮き足立つ人々が、彼の前を素通りする。が、彼は気に止める様子もなく、もはや「叫ぶ」と表現した方が正しいだろうというくらいに、「親がいないことで教育の機会を得られない子どもたちに、募金をお願いします!」と、誰ともない空間に向かって投げかける。
彼自身のためではないだろう。
施設出身者の方か、あるいは施設関係者の方か。
そんなことはどうでも良くて、ただ、誰かのために必死になっている姿はその時の私の胸を打った。
人前で大声で呼びかけるのは、勇気がいる。
日曜日の観光地での募金の声かけは、多くの人が足を止めてくれるわけでもないだろう。
コインロッカーに入る機会を失った500円玉を募金箱に入れた私の目にスーパーが映る。
そうだ、スーパーにならダンボールがあるかもしれない。そう思い立ち、同時にそこに向かう途中、わたしの頭の中は「誰かにお願いごとをする、助けてほしい」と言う緊張を感じる。
背中に「募金をお願いします!」という声をエールのように受けながら、スーパーに隣接した花屋の店員さんにきいてみる。
「ダンボール、余ってませんか?」
「あぁ。うちはダンボールは使わないんですよ。でも、スーパーの管理事務所に行けばあるかもしれませんね」
今度はスーパーの管理事務所に行き尋ねる。
「ダンボール、もらえたりしませんか?」
「ダンボールが欲しいなら、2階の青果品コーナーに置いてますよ」
2階のサービスカウンターで尋ねる。
「ダンボール、ここでもらえたりしますか?」
「ああ、ありますよ。ご案内しましょうか」
10分後、わたしはふじりんごと書かれた大きなダンボールを手にスーパーから出た。
中のタイムレコーダーとタイムカードには不釣り合いな大きさだ。
花屋を横切る。
「ダンボール、もらえました!ありがとう」
そう伝えてコンビニに戻ると、コンビニのおばちゃんは「あら!よかったわねぇ」なんて言いながら手際よく発送準備を進めてくれた。
約束には15分遅れ。
だけど、今日は良い日かもしれない。
「助けて」に救われ、また「助けて」と言うことで救われたからだ。
心が雨の日に 考えたこと
二階堂和美さんの、「おんなはつらいよ」を聴きながらこれから、これから数時間は眠れないだろう深夜の過ごし方を考える。
久しぶりに、ベッドが人型に沈むのではないかと思うくらいに起き上がれない1日だった。
どうしても起き上がる気にならない体を観察しながら重たい頭で考えていた。
こんなに起き上がれないのは休職直後以来。
回復したと思っていたのに。まだこんな日が来るの。。という失望。
こんなに怠け者の自分じゃ、きっと彼もいつかは愛想を尽かすだろう。という謎の見捨てられ妄想。
届いたまま開けていない荷物、サボっている筋トレ、いろんなものが自分を責めているように感じる。全てが億劫だ。
原因がわかる気分の落ち込みは良い。対処方法を考えることができるし、打ち手がないなら、仕方ないと受け入れることができるから。
わたしは、答えが見つからない不安よりは、マシだと思ってしまう。答えのわからない気分の落ち込みは最悪だ。見通しが立たないし、何よりわからない、ということを受け入れ難い。
仕事ではメンタルヘルスに大いに関わる分野だったので、よくお客様にいっていた。
「人間にはバイオリズムがある。不調の原因は直接的なものではなく、ただそういう時期なんだと思えば楽になることもあります」と。
ケッ。こいつ全然わかってねぇ。バイオリズムという理由だけで不調を受け入れろだと?先の見えない不安がお前にわかってたまるかよ。(お客様は良い人ばかりなので誰1人そうは言わなかったけど)
抗わずに生きること。良い状態に執着せずに生きること。起こったことを受け入れることがこんなにも難しいことだなんて、知らなかった。
元々入っていた友人との約束をドタキャンし、
彼への連絡もする気になれない。
理解がある本音が言える友人だったから、ある意味「今日は調子が悪いから行きたくない」を言えるチャンスをもらったことに感謝している。
相変わらず自己嫌悪には陥ったけど、人との予定よりも自分の気持ちを優先すべき時はある。それが出来たことは、私には成長なのだと思う。
今まで彼氏がいた時期だって、こういう不調に陥ることはあった。だけど、そんな状態になった自分を見せたら、失望されるんじゃないか。そういう不安から、不調時の対処法は、ただ黙って自分の穴にこもることだけだった。だからいつまでも理解してもらっている感覚を得ることが出来ずに、孤独感だけを深めていくことになって、寂しさだけが行き場を失って。入りきらなくなりそうな寂しさの壺に上から力を込めて蓋をする。
もう、そんなことしたくない。この人には理解してほしい。じゃないと、一緒にいる意味がない。
そう思って、返信しないまま数時間経ったLINEに、
「ちょーしわるい」「ドタキャンした」「ベッドに沈みそう」「一緒に住んだら、こういう自分を見られて、呆れて、嫌いになっちゃうんじゃないかって不安だ」と、送ったら、1分も経たずに、
「そういう素直なとこ好きだよ」「全部好きだよ」「その不安は、幻想だよ」と返信が返ってきた。
それだけでは気が済まず、「わたしの好きなところを10個送って」といい、さほど時間をおかずに返事をくれたそれを見て、その日はじめて笑うことが出来た。
事実になるかどうかなんてどうでもよくて、今それが事実だと思うと、わたしの心はとても とても軽くなった。素直になれた。受け入れてもらえた。
どんなわたしでも好きでいてくれる人がいる。
昇華できた痛みを晒すことは、人に勇気を与える。だけど、今、どうしようもない真っ最中の痛みや弱さは、受け止めてくれる人がいないとどうにも出来ない。だから、ただ、助けを求めることは怖いのだ。受け止めてもらえなかったら、傷つくから。
弱者になるのは、自尊心が傷つく。弱さを受け入れていなければ、助けは求められない。そして、よく理解していたつもりだ。人の役に立つ経験こそ、信頼して助けを求めてもらうことがその人に自信や生きがいをもたらすことを。
わたしは弱い。それで良い。それが人とのつながりをもたらすから。
原因不明の落ち込みに襲われたら、助けてもらえば良いんだ、と生きてて初めて思った。ひとりで飲み込むよりも、健康的な対処法に思う。
結局、ここまで消化しきってから、原因と思しき感情に出会った。
昨日は、一回り以上年齢が上でとても美しく聡明な女性と会った。話を詳しく聞けば聞くほどまっすぐで、卑屈さがない。人以上に努力と経験を重ねてはいるが、あくまで全て自分のためであり、人の評価軸で生きていない。世間の美しさの価値観に囚われず、自らの哲学を持つ美しい人だった。
芸能の仕事もしているので、わたしは彼女にその話を聞きに行ったのだけど、その流れで共にとった写真の自分の自己イメージとかけ離れていたことにショックを受けていたのだ。二重アゴ。目鼻立ちがぼんやりしている。首が太く、姿勢が悪い。
彼女の経歴が、淀みのない話し方が、影のない放つ光が、わたしにはまぶしすぎた。
それで、一気に自信を無くしてしまった。
人前に立つ仕事をするということは、美しい人に囲まれて、少なくとも自分なりの自分の美しさに自信を持っていなければいけないと思っている。
その理想の自分と現状がかけ離れすぎていたのだ。
もっと綺麗にならなくては。
綺麗になりたい、ではない。ならなくては。と思ったのだ。
これは多分私が幼い頃から中身を褒めてもらうより見た目を褒められる経験を多めにしたことも要因で、それがじょじょに失われていくことによる喪失感=自己価値の減少と認識をしていたのだと気付く。
「まだそんな君が私の中にいたのね。。」と驚きながらも、その存在を認めるしか今の私には出来ないし、それで今日はどんよりしていたのね。。と合点がいった。
わたしをたらしめるものは、この暗さであり、卑屈さであり、生きづらさであり、たくさんの人に共感できるということだった。そう思ったら、見た目はこれから刺激を受けることで磨いていけば良いか。どうせ本職にできるほどのレベルではないし、と自然に思ったのだった。
自然のように生きていたい。
雨が降っても、晴れでも、そのまま、そこに、あるがままに在る。
だけど自然と違うことは、人間が自然よりも速いスピードで変化が可能だということ。わたしは、大切な誰かやわたしのために美しくなる努力をしたい、と思う。
サキノバシグセの特効薬
あなたの余命は半年です。
そう告げられたら、人はどんな反応をするのだろうか。余命半年という数字は妙にリアリティを帯びていて、贅の限りと怠惰に身を任せて生きるには、長すぎると思われる。6ヶ月。180日。
つい先日、余命半年の宣告を受けた。
今から半年後、2019年4月12日が私の命日となる。
思えば、幼い頃から夏休みの宿題は8月31日にやったし、高校生になれば9月を過ぎて、提出をしなければ留年と脅されて始めて渋々手をつけるような人間だった。大学は就職活動がしたくないがために休学をし、内定を得た企業への返事は最終締切日が来てしまったからという理由で入社を決めた。
社会人になってからも期限ギリギリ、前日一夜漬けのやっつけ仕事は日常茶飯事。イベントの誘いには「未定」で答え、結局当日になって苦々しい気持ちでキャンセルを押すのだ。
日曜日がいつまでも続くようスマホをいじり過ぎた結果睡眠時間3時間の月曜日を迎えることは毎週の恒例だ。メールやラインの類は「あとで時間ができた時に返そう」と開いたまま、後々それが消化不良のように体のどこかに残り続ける・・・
そう、わたしは正真正銘の妖怪・サキノバシ人間なのだ。
妖怪サキノバシ人間の生態は、未来を見据えた上で、「今の選択」をしようとする時、その時目の前にある安易な選択肢を手に取りがちということだ。
よく言えば今を一番大切にして生きるとも言えるし、悪く言えばいつかいつかをしている内に命の終わりを迎えてしまうような、痛みを内包して得たことがある者しか知らない、覚悟というものを持つのがどうにもむずかしいと言えるだろう。
脳が短期的な報酬を求めてしまいがちなのだ。
本人のせいというよりも、もともと気質に加えて習慣によって得られる達成を学ぶ機会に恵まれなかった悲しい運命の被害者でもあるのだ。
そんな妖怪サキノバシ人間の元に突如現れた余命半年宣告。ただし、医師からではない。
「余命半年だったらどうする?」というイベントで、主催者から言われた言葉である。
あなたは、半年後2019年4月○日に1度死にます。
本当に死ぬってわけじゃないが、もし、そうだとするならば。やりたいことはなんですか。と問われたのである。イベントは20人近く参加者がおり、主催者はすでに余命半年プロジェクトを始めていたため、様々なエピソードが飛び出してくる。
「別に何も変わらないと思う、そんなにやりたいこととか、わたし、ないし。」という女子から出てきた、「私、セックスしてみたい。死ぬ前に。」という宣言。「妊娠してみたい。妊娠した体を経験してみたい」という、出産願望ならぬ、妊娠願望宣言。
その場の会場に漂う、不思議な命の叫び。
妖怪サキノバシから出てきた願望は、
①「結婚式がしたい」
②「目立ちたい!もっと私自身を表現してみんなに知ってほしい」
妖怪自身も驚きだった。
なぜならば、「結婚式なんて金儲けのビジネスで、みんな同じような式にお金だけかけて、もったいない」「そもそも結婚が目的になるような考え方だから相手を損得勘定でしか見れないんだ。結婚すれば幸せになれるなんて幻想に振り回されて不幸になるのは大きな過ちだ」などと宣っていたのはつい先日の自分自身だからである。
それは最近はじめて共に人生を歩みたいと思えそうなパートナーに出会ったからかもしれない。その日から、私はウェディングドレスを飾るショーウィンドウの前で立ち止まってしまう女になった。
思えば幼い頃は、人前に出るのが大好きで、主役は自分だと思っていた女の子は、いつしか自分が目立つことは他の人に嫌な思いをさせることだと思い込み敢えて目立たないような場所に自分を置いたり、脇役に徹する仕事を選んできた。
本来の目立ちたがり屋の気質を消し去れないまま、いつしか自分の素直な欲求に正直になれないちぐはぐな妖怪になっていたのだ。
あと180日後に1度死ぬのであれば、自分を発露することによって人と繋がりたい!という自分の欲求を知った妖怪は、このイベント直後に、
「もし半年以内に命に終わりがくるならば、あなたと結婚式がしたい」とパートナーに宣言し、
その後数日悩みに悩んだ後に、自分自身について語る3000字の文章をFacebookに投稿し、想像を遥かに超えるリアクションを頂くこととなる。
そこから始まった渦はその後も続き、会いたいと思っていた憧れの人に会えることになる。自分自身のポートレートをプロと一緒に作品作りすることになる。
妖怪サキノバシ人間が余命宣告を受けることで、
いつか が 具体的な日付に変わったのである。
先延ばし癖がある人は、完璧主義な人が多い気がしている。全力で取り組みたいからこそ、全力でやれるタイミングを見計らっているのだが、終わりのないカレンダーに、予定はいつまでも書き込まれない。終わりの設定は、願いを、計画にしてくれる。
いつしか増えていくシワのように
小じわが気になる歳になった。目尻とほうれい線。
ここ1年、写真を撮ろうとするたび、iPhoneオリジナルのカメラか、snowかで迷うようになったのは私だけだろうか。
ネットで美容外科での若返りを調べては、
ウルセラ(全体的に引き締めるレーザー。めちゃめちゃ効果あるらしい)めっちゃ良さそうやんとか、水光注射(白玉注射ともいう。とにかく肌に透明感を出せるらしい)どうなんとか、金に物言わせて重力に抗おうとする。
物言わせる金がなければ、ひたすら舌回し運動だ。
右左とほっぺたが膨らむ自分の顔を見ながら思う。
綺麗であるために歳に抗おうとすることに、限界はいつ来るのだろう。
次の誕生日に29歳になる。
20の時も、25の時も、27の時も、思っていた。
自分の人生は、こんなものなんだろうか。理想と違うぞ、と。
その度に「まだ若いから。これから人生にいろんなことが起こるだろうし」と、年齢のせいにして、自分に原因があるということを見ないようにしていた。だけど、この歳になると、見えてきてしまう。
もっと若くて活躍している人、社会で輝いている人はたくさんいる。人が何かを成し遂げたりできるのは、年齢を重ねたからじゃない。その人がその人たるために、行動を積み重ねているからだ。
休む直前までしていた仕事をしながら私は、
「わたしはここで何をやってるんだろう」
と考えていた。それはもう30分に1回のペースで。
自分の人生にさえ欲求に真っ直ぐに生きられていない私が、支援なんて人の手伝いをしている場合だろうか。と。
もう2年以上、わたしの体がいい加減にしろよとサインを長い間出し続けてくれていた。
無視し続けてきた張り詰めた糸が切れてそれまでの日常から離れるのは意外なほど呆気なかった。
それが5ヶ月前のこと。
そこから、わたしは水を得た魚のように毎日好きなだけ寝て、会いたい人にだけ会って、絵を描き始めたり、ブログを始めたり、カラーセラピーの講座や(生年月日から生まれ持った気質やラッキーカラー、歳や月ごとのその人のテーマカラーやそれの意味するところなど)書店主催のライティングゼミに通い始めたりして、純粋な興味とか出来るようになりたい気持ちとかを大切にして生きるようになった。
よく考えたら、昔から好奇心は旺盛で、世界一周したりタイマッサージ留学やアロマセラピー、キャンドル作りや石鹸作り、その時々の興味に合わせて好きなことをしてきた。故に素人に毛の生えた程度には知ってることも多くなったし、中にはずっと続いているものもある。
なのに、この間カラーセラピーの講座を受けている最中にふと浮かんだ考えは、「あれ、わたし知識ばかり食べているけど、結局誰かのために役立てられたことってあったっけ?」という想い。
いいんだ別に、趣味ならば。でも、新たな知識を習得するたびにわたしの中にいつもあったのは、「これで他の人と繋がれたり、それが価値としてお金に変わったら楽しいのになぁ」という想い。
だけど、だいたいのことはその場限りで終わって、「○○をしたことがある」という、自分の中の経験だけが積み重なっていく。
一度浮かんだら消せない、「どうして私はインプットばかりして、アウトプットをださないのだろう」という疑問。石は石とぶつかり合うことによって磨かれることは理解しているつもりだ。
だけど、人に自分のやっていることを表明しようとすると、
誰も知りたくねーよ。近況なんて。
誰も見たくねーよ。お前の写真なんて。
そのクオリティなんて素人もいいところ。
なんて。なんて。なんて。
その人特有の考え方の癖は、もはや反射と言えるほどに考える間も無く出てくるものだ。
私の場合は、ネガティブな妄想をそのまま事実かのように挿げ替える思考の癖。
仕事をしていた時と同じだ。
こうしたいという自分の思いに、自分でストップをかける。思えば、この感情を抑制する癖は、物心ついた時からあって、不安な気持ち、悲しい気持ちをひとりで押さえ込んで生きてきたように思う。
だけれども、そういう自分を嫌うことはもう辞めることにした。抑圧的な自分も、自分を守るために1番悪者になって戦ってくれてきていたということがわかったから。
余命半年だと思うと、もう、そろそろ素直な欲求に従っていきていってもいいかなと思う。
もう戦わなくて良いよ。
そう自分にいってあげたら楽になるような気がして、最近は、何度も自分に大丈夫、大丈夫、大丈夫だよ、と声をかけている。
老化は、死に向かっていくこと。
だけど、死を意識して生きている間は、
精神的に老いることはないんじゃないか。な。
いつしか増えていくシワのように、抗って、抗って、最後に受け入れる時。
それは醜いものじゃなくて、自分の生きてきた歴史なんだと思えるようになっていると良い。