助けてください、箱ください

 

「あー、宅急便は、そもそも梱包して持って来てもらわないと。梱包用に差し上げるとしたら、ゴミ袋くらいですよ」

 

そのコンビニのおばちゃんは、申し訳なさそうに、そして「普通送ってほしい荷物は自分でダンボールに入れてくるでしょう」と、世間知らずの人間だと哀れむような、絶妙な笑顔で私をレジから退けた。

 

駅から2分のコンビニで、彼氏との待ち合わせに間に合うための電車の出発時刻まで残り5分の出来事だった。

 

某オークションサイトで先日廃業した家業で取り扱っていた在庫のタイムレコーダー(時給を計算するために勤怠の打刻をする、あの機械だ)が売れたのはその前夜のことだった。

 

そもそもは落札者が宛名を知らせずに配送を依頼する、匿名配送希望だと気付かなかったことがことの発端である。

 

匿名配送は特定の業者を使って荷物を配送する方法なので、コンビニからしか手続きが出来ないのだ。

 

図らずもはじめは郵便局で箱を購入し、直後にそのことに気付きすでにガムテープを剥がして郵便局の方に箱の廃棄をお願いした後、その足でコンビニに向かったわたしを待っていた出来事が前述のやりとりである。

 

すごすごとコンビニを出たわたしは、

おまけにつけたタイムカードが100枚入った小さな箱と、簡易な箱に包装されたタイムレコーダー約3kgを抱えて、今優先すべき判断は何かを考える。

 

自宅に戻るには徒歩20分。

電車の出発時刻が迫る。

約束の時間を守るために取り敢えずどこかに預けておこうという発想に至ったわたしは、観光地である駅前の大量のコインロッカーに預けようと考える。

 

しかし。

 

日曜日の観光地の駅前コインロッカーは予想以上に荷物を抱え込んで、500円玉しか持っておらず400円の料金に支払いにまごついている間に、虚しく最後の空きの1つが埋まっていった。

 

 

「どうしよう・・・」

 

 

箱が・・・欲しい、箱が欲しい、箱が欲しい。

こんなにも人生で箱を欲したことはあっただろうか。へなへなと駅前のベンチに座る。

 

たかが箱、されど箱。

箱がないとここから動けないのだ。

 

座り込んだベンチで、ぼーっと考える。

わたしはいつも自分だけの力で解決しようとしてきた。こんな風にいろんなミスが重なって、

たかが箱がないだけで途方にくれているなんて、

これで本当に大人と言えるのか?

謎の反省会を始めかけた時。

 

「募金にご協力をお願いします!」と、ひとり大声で呼びかける若者が目に入る。施設で暮らす子供たちの進学費用のための募金運動のようだった。

 

観光地に浮き足立つ人々が、彼の前を素通りする。が、彼は気に止める様子もなく、もはや「叫ぶ」と表現した方が正しいだろうというくらいに、「親がいないことで教育の機会を得られない子どもたちに、募金をお願いします!」と、誰ともない空間に向かって投げかける。

 

彼自身のためではないだろう。

施設出身者の方か、あるいは施設関係者の方か。

そんなことはどうでも良くて、ただ、誰かのために必死になっている姿はその時の私の胸を打った。

 

人前で大声で呼びかけるのは、勇気がいる。

日曜日の観光地での募金の声かけは、多くの人が足を止めてくれるわけでもないだろう。

 

コインロッカーに入る機会を失った500円玉を募金箱に入れた私の目にスーパーが映る。

 

そうだ、スーパーにならダンボールがあるかもしれない。そう思い立ち、同時にそこに向かう途中、わたしの頭の中は「誰かにお願いごとをする、助けてほしい」と言う緊張を感じる。

 

背中に「募金をお願いします!」という声をエールのように受けながら、スーパーに隣接した花屋の店員さんにきいてみる。

 

ダンボール、余ってませんか?」

「あぁ。うちはダンボールは使わないんですよ。でも、スーパーの管理事務所に行けばあるかもしれませんね」

 

今度はスーパーの管理事務所に行き尋ねる。

ダンボール、もらえたりしませんか?」

ダンボールが欲しいなら、2階の青果品コーナーに置いてますよ」

 

2階のサービスカウンターで尋ねる。

ダンボール、ここでもらえたりしますか?」

「ああ、ありますよ。ご案内しましょうか」

 

10分後、わたしはふじりんごと書かれた大きなダンボールを手にスーパーから出た。

中のタイムレコーダーとタイムカードには不釣り合いな大きさだ。

花屋を横切る。

ダンボール、もらえました!ありがとう」

そう伝えてコンビニに戻ると、コンビニのおばちゃんは「あら!よかったわねぇ」なんて言いながら手際よく発送準備を進めてくれた。

 

約束には15分遅れ。

だけど、今日は良い日かもしれない。

「助けて」に救われ、また「助けて」と言うことで救われたからだ。