自信が無くても良くないですか?

「俺(私)、自信ないんだよね」と話す人に会うことがたまにある。

まるで自信がないことがその人の人生の足かせにでもなっているように。

一方で「自信があっていいな」「自信過剰だよね」等、自信という言葉はいつもそれがあるかないかで人生が順風満帆にいくかどうかの使い方をされることが多いように思う。

 

そういう人に出会った時、私はいつも過去の自分を思い出す。

ちなみに、過去の話をしたからといって、今の私が自信満々な訳ではない。

だけど、前よりもずっと自分のことが好きになっているとは言えると思う。

何が変わったのかと言えば、ひとつの言葉に出会って、今まで見えなかった景色が見えるようになった、という表現が正しいと思う。

 

20代の最後の年に差し掛かるまでのほとんどの時間、どうしたらもっと自分に自信を持って生きれるかを考えることに時間を費やしてきた。

考えざるを得ないほどに、私は私のことをどうしても好きになれなかった。

 

過去を思い返すと、学生時代のうまく行かなかった事ばかり思い出すし、逆にうまく行ったことはよく思い出せない。社会人になってからも自分の仕事のパフォーマンスに自信が持てず、上司との面談では、いつも「自信がないよね」と言われ、「そうなんです……」と小さくなっていた。

 

色々な人が「自信を持ちなよ」と言ってくれるのだけど、ちっとも響かない。

それどころか、褒めてられると「どうせ褒めるところがないからそう言ってくれてるんだ」と卑屈に受け止め、逆に指摘されたことに関しては100倍くらいの重さで受け止める。元々物事の受け止めかたにかなり偏りがあったことが、今なら理解できる。

 

どう見えているか過剰に気にしてしまったり、人との比較をして自分にないものを探す癖が付いているから、人と会うととても疲れる。いつからか、私は気軽に人と会うことを嫌うようになって行った。自意識過剰だということもわかっていながら自分のことばかり気にする自分も嫌いだった私は、いつもこう考えていた。

 

自信があれば。

自信があれば自分を受け入れられるのに。自分を受け入れられれば人と比較しなくなるのに。

 

だけど。

 

正直、自信という言葉に疲れていた。

今まで色々考えても、本を読んでも、何かにたくさんチャレンジしても手に入らなかったものについて考え続けることにも。

本当に自分を受け入れるということは、自信がない自分でも良いと思えることだ。

頭では理解している。けれど、心がそうは反応しない。 

そういう状態が長らく続いた後、ストレスで5年続けた仕事を休職。

失意の底にいる時、たまたまツイッターでみた呟きの一つだった。

 

「自分の好きになれない部分の、自分に良い影響を与えてくれた、あるいは価値があると思える側面を考えてみると良い」と。

 

たったこれだけ。なのに、私には目から鱗が落ちる思いだった。

自分の嫌いなところの良いところ?

 

自信が持てないところ。

人の目を気にしすぎるところ。

不安が強いところ。

その癖協調性がなく、落ち着きもないところ。

 

自信が持てない故、いつでも自分はこれで良いのか?と向上心を持てた。

人の目を気にしすぎる故、人の表情や目線の変化に気付くサービス業が向いていた。

不安が強いが故、重要な決断が必要な場面で迂闊な判断をして失敗したことがなかった。

協調性がなく皆と同じことをするのが嫌だから、人が思いつかないアイディアを出すことが出来た。

 

そういう風に、自分の短所と思っていた部分に一つ一つ光を当てていく。

私をここまで運んできてくれたのは、自分が短所だと思っていたところだったのだということに気付く。

 

今まで、自分は常に何かが足りないと思いながら生きてきた。

足りていないものを手に入れれば完璧になれると思っていたけど、ないものを掲げて人と比べると永遠に不足に苦しんで生きていくことになる。

だからこそ、今持っているものに光を当ててみることが必要なのだと思う。

そこには、自分しか持っていないものが、気付いてもらえるのを待っていたりする。

 

だから、「自分に自信がない」と悩んでいる人に今の私はあえて言いたい。

自信がないことの負の側面はある。だけど、自信がないことの良い側面もある、と。

 

苦手分野やコンプレックスは誰にでもあるし、それを解消するために努力した結果それを克服することは素晴らしいことだと思う。

一方で、人の苦手なことやコンプレックスは時にその人自身の魅力となる時もある。

 

自分について無駄に考えた時間とエネルギーがあれば、この年になるまでに何ができただろう。そう思いながらも、この経験をしていなければ語れない薄暗さがことがあると信じている。

 

自分自身の影の部分に光を当ててみて、本当は愛すべき可愛さじゃないかどうか、

見返してみてほしい。

より良い自分になりたくて必死に頑張ってきたもうひとりの自分が変わる必要が本当にあることなんて、そんなにないのだと私は思っている。