喫煙習慣について

21歳くらいの時から、気がついたらタバコを吸っていてつい先日の瞑想で10日間 強制禁煙

 

もう吸うことはないだろうと 辞められてるか試した一服でまたぶり返し

 

量は減るものの 1箱買って2本吸って 

あぁやめると思い18本残るタバコを水浸しにしてすてるも また買い 捨て 勿体無いので最近は律儀に最後まで吸い と 見事な未練を発揮しながら今日まで過ごしていたのですが、

私の場合、そもそも美味しく感じるのなんて10本吸って1本あるかないかで あとの9本を吸っている時 あるいは吸う前 吸った後 食道が縮まるような息苦しさと慢性的な吐き気に襲われるのに、それが治らないうちに また 煙草に手を出すという 

サテ 不思議 という具合な訳で

 

あまりにも自分で不思議なもので、

最近はタバコに関する書籍をふたつ 読んで見た

ひとつは煙草讃歌、もうひとつは禁煙、というか断煙 をした人々の間では噂の禁煙セラピー という本。

 

煙草讃歌はまぁだいたい想像してた通りで

禁煙セラピーは  改めて

なんで自分は煙草を(どんな目的で)吸っているのか

何がきっかけだったのか

それは洗脳や思い込みである!

もう吸わなくてええんやで おめでとう

 

と、煙草をやめなくてはいけないという我慢辛抱忍耐力ありきの禁煙法ではなく

こんなに害のあるもの もう吸わなくてよくなった。素晴らしい。喜びなさい!

というメッセージが込められていて

禁煙に対する精神的な努力を要する一般的なイメージとは一線を画していた。思わず自分も 一旦本を閉じて いつからだっけ どんなことがきっかけで

と思いを巡らせることが出来た。

 

今日は、それを忘れないように 書き留めておく。

なぜなら、わたしはなぜ煙草を吸い始めたのか

自分でわかっているから もう。

 

当時のわたしはいま という瞬間に 耐えることが難しかった

いまという瞬間から連れ出してくれる何かが欲しかったから だから どんなに苦しくても 吸い続けたんだ。

高まる衝動とかストレスとか緊張とか不安、憂鬱を一度吸い込んでから 大きく吐き出す行為

それは深呼吸をする前に一度全てを吐き切ってから吸った方が多く吸える、そんな道理と似てる気がする。

吸ってる間は 煙草を吸っていること自体ではなく

その後の時間が来るのを先延ばしにしたり

自分の中に生まれた感覚に執着したり

そうして 生き延びてきた節があるのかもしれない。

 

だけど結果的にそれはわたしを救わない ということが麻薬依存者であることをきっぱり断言されて改めて はたと気付いたような気持ちになっている。

 

禁煙じゃないのだ。断煙。さようなら煙なのだ。 

幸い いまを生きる術 代替手段は身につけているはずで、愛しい楽しみと別れるわけではなく、

ズルズル引きずっただめな彼氏と別れるような

そんなさようなら と手放すような

そんな感覚に似ている。

 

もうなくても、生きていけるんだ。

ゆるやかな自傷行為が 幕を閉じる予感。

まぁやめて5時間くらいなんで。まぁね。