どこからが余計なお世話か

かなりご無沙汰になった。

 

ライティングゼミという、10月から通っていた社会人スクール的なのが終わったからか、書いているうちにそこまで書くことに没頭できないことに気付いからなのか、

やや書く事を離れ 本を読む事ばかりなどしていた。

 

書くことはそれなりに集中する力がいるし、更に上手な文章を書く人たちは自分が書いた文章を批判的に見直してブラッシュアップするという作業をするから、

雑記や日記的に文章を書いておきたい人と 人に見てもらうための文章を書く人との違いを理解した上で、その作業自体までは楽しみきれなかった気がした。

 

最近はそこまでして伝えたいことってあったっけ?と思うようになった。

人に進める事と押し付けることは違うけど、

私は自分自身に足りていないと思う事を人に押し付ける傾向が強かったような気がして、例えばその人が楽に生きるために、とか

もちろん困っている人に対して自分の知っていることや経験を通して伝えられる事があったら伝えたいとは思うけど、それを使命としていくのは自分が人生楽しみきれていないことへのすり替えなんじゃないかと思うようになった。

 

その証拠なのか、楽しみきれていない人の近くにいると 今まで力になりたいと思っていたけど、最近は付き合っている時間 停滞したエネルギーを受け取るような気がして

自分のできる範囲以上のことはやらず その方が結果良い距離感ができるという。

うだうだ相談に乗っても結局解決しない事の方が多いし、

そもそも解決したいと思っている人自体そんなに多くないような気がしてきた。

 

11月にモデルの事務所に所属してから、12月、1月はなかなか動きがなかったけど、

先日初めてオーディションに参加してきた。

 

事務所の先輩の悩みや教えられる事を聞いていると、どこの業界も悩んでいることはあまり変わらないなと思った。

どうしたら売れるか。競合だらけの、顔面偏差値が高くて、多少の芸ができることが前提にある基準を超えてどう差別化を測っていくかということ。

 

よほど力のある事務所に所属していない限り、俳優やモデルなんかは個人事業主として個人で生き抜いていく力が必要になる。

そこらへんは会社員よりもシビアな世界かもしれない。

だけど、会社員にしても芸能にしても、その先は保証されていないことに関して大した差はない。よっぽどの大企業なら別なのかもしれないけど。

 

個人の時代においてどうやって生き延びていくかって戦略を持てということと、そのためのマーケティングの視点を持て、ということに集約される気がする。

それはその職業を続けるにしろ、別の仕事に変えるにしろ、同じことな気がする。

 

同時に、そういう考え方に対して、ありとあらゆるところで声高に叫ばれてるから、無意識に自分らしく生きなきゃいけないと刷り込まれているけど。

 

自分らしさなんて、自分らしさを意識しなくなった時に傍目にふとうつる事の方が多いんじゃないかと思うし、あんまりそれに囚われると足元にあるものを見逃すんだろうなぁと思う。

 

意図した通りに生きるなんて無理だ。コントロールできないことの方が溢れてるのだから。

 

最近は演劇のワークショップとかに参加している。

表現することは面白いけど、その表現手段に没頭できるかどうかということが大切な気がする。もっと知りたい、もっと上手にできるようになりたいと思えるかどうかも。

 

来週は歌のトレーニングに行ってみる。

昨年初めの占いを聞き返していたら言われていたことがほぼ当たってて、

しばらくはいろんなことを試してみる日々が続きそう。