世界一周、初めて降り立つ国、タイ

2011年の春、私は、タイ・バンコクにあるチャイナタウン・ヤワラートにあるホテルの高層階で地球の歩き方に埋もれながら泣いていた。

怖くて、部屋から出れないのである。

 

タイの主要空港であるスワンナプーム空港に降り立ったのは1日前。

日本人専用のツアーのバスに揺られて、このホテルにたどり着いてから、この部屋を出ていない。食事もしていないので、空腹もそろそろ限界だ。

 

何が悲しくて、はるばるタイまで来てホテルの中で泣いてるかって?

怖かったのだ。タイの雑多な雰囲気が、見慣れぬ景色の全てが。

エレベーターを降りたら殺されるのではないかという気すらしていた。

 

 

当時、どうしても就職活動をする気になれなかった私は、

当時どハマりしていた「地球に恋して」という世界一周を綴った旅ブログに大いに影響されて、大学を1年休講して自分も世界一周という名の下に、「ここにはない何か」を見つけにいく旅に出た。

成田空港で買った、旅人読本の定番である深夜特急を買って。

 

そうして第1カ国目をタイに決めてから格安旅行ツアー会社でホテル付きのツアーを申し込んで、復路の便をキャンセルして次の国、ラオスに向かう予定だった。

 

だが、旅に出て早々これである。

そもそも海外にはツアーで1カ国しか行ったことのなかった私が、

カオスを絵に描いたような東南アジアに降りたつのは、刺激が強すぎた。

というか、孤独だ。せめて、この恐怖感を共有して、「一緒に行こう」と行ってくれる友人さえいれば……と思うのだが、もちろんそんな人はいない。正真正銘一人だ。

 

そもそも世界一周に行こうなんて人は、好奇心と行動力の塊で、社交的なタイプがほとんどである。内気で不安が強いタイプの人間が同じことをしようとするとこうなるんだな、なんて思いながら、外にでるタイミングを伺って、何度も挫折する。

 

2泊3日のツアーの帰国予定の前日夕方。部屋のドアノブに手をかける。廊下には誰もいなかった。部屋を出てしまえば後は進むだけで、以外にも呆気なく外に出る。

派手なネオン、飛び交う異国の言葉、無数のバイクとトゥクトゥク

 

ここはチャイナタウンだ。なんだか、少しだけ横浜中華街に似ていた。

お腹が空きすぎていた私はドキドキしながら一番はじめに目についたバイクタクシーに乗って、市場を目指してもらう。ボラれるのではないかと怯える私を尻目に、バイクタクシーはスイスイと市場を目指していく。

 

景色が流れる。3人乗りのバイクに何台かすれ違う。外はもう暗くなり始めている。異国にいるのだ、と生暖かい風の匂いを嗅ぎながら思う。

 

到着した市場はこじんまりとしていたが、現地の人で溢れていた。

やる気のない店員が手作り感溢れる日本の電化製品のメーカー名が書かれた謎の家電や、スポーツメーカーのロゴが入った偽物と思しき鞄やスニーカーを置く屋台の中で携帯をいじっている。

散々迷って辿りついたタイ風ラーメンの屋台は、現地の人もちらほら食べていて、私も恐る恐る古くなったプラスチックの椅子に座る。

出てきたラーメンを啜る。あぁよかった。ちゃんと美味しい。

どんな味がするかわからない調味料をいれてみる。食べたことのない味がする。

ただご飯を注文して食べれたことが、こんなに嬉しいとは、何事か。

 

外に出れた達成感とお腹が満たされた満足感を感じながら、街を歩く。

少しの勇気を出した私の初めての街歩きは、無事終了した。

 

翌朝、ホテルの前には大型のバスが止まり、お土産を抱えた日本人観光客の人々が続々とバスに乗り込んでいく。私はここでさようならだ。そう思いながら、日本語を話すタイ人の添乗員の男の人に言い出すタイミングを見計らう。

 

忙しそうで、なかなか言い出せない。

第一、ここで私は帰りませんなんて言ったら、変な注目を浴びてしまう。

そうこうしているうちにバスは定刻通り出発する。

もちろん私はしっかり乗ってしまっている。

流れる景色を不安な気持ちで見つめる。

ひょっとしたら私、日本に帰ってしまうんじゃないか。

だって、ツアー客が帰らないなんて、前代未聞じゃないか?

そうこうしている間にバスはあっという間にスワンナプーム空港に到着してしまった。

 

どうしよう。タイミングがない。搭乗手続きの列に並んでしまった。乗るつもりもないのに。チェックインカウンターが目前に迫ってきて、ようやく私は意を決して、列を抜け添乗員さんに告げる。「私、飛行機、乗りません。これから、世界一周、行く」

伝えながら、同時にあぁ、私は世界一周に行くのだ、と、その時になって実感が広がった。

 

添乗員さんは初めてのことだったのだろう、困惑の表情でツアー会社に電話して確認を取っている。不安な気持ちで待つ。

電話切った彼は、タイの一人の青年の顔で、「オッケー! 気をつけて、行ってらっしゃい」と言ってくれた。

 

彼に別れを告げて空港の到着ロビーに戻る。これからどうするかは決めていない。

十数キロある荷物が重い。反対に私の気持ちは軽やかだった。