みずからをしんじる

「自信ないよね」という言葉の裏には

(もっと自信を持っても良いのに)自信ないよね とか

(自信なさげな私にある種のイラつきやもどかしさのようなものを覚えて)どうしてそんなに自信がないの? とか

 

自信がある=良いこと という考え方が疑われもされず

いろいろな場面で振りかざされているような気がするし

自分自身も振り回され また時に人を振り回してきたのだと最近思う。

長い間 それが自分のアイデンティティだと思いこみ、思い込み故に現実になってきたことがたくさんあると思う。

 

けど今は そもそもそんなことあってもなくても良いし

あって良いことも多いけど 無くても悪いことだけじゃねーよとも考えてる。

 

 

 

ずっと勘違いしてきたことがあって、

「自信の持てないことやもの」を「自信が持てることやものにしたい」という願いは

「今の自分を否定すること」だと思っていたことに最近気付いた。

「現状の自分を受け入れ愛すること」こそが自己肯定だと。

 

無意識に「こうなりたい」「あれができる人に憧れる」「ああいう人になりたい」という思いは「今の自分を否定することだぞ!」とシャットアウトする防御機能が働いていて、長い間 本当に欲しいと願っていることが何か それを自分が望んで良いのかがわからなかった。

 

でも、「現状を自分を受け入れ愛する」ということは

「そう願っている自分を受け入れてよりよく素晴らしい自分になることなんだよ」と

教えてもらって、すごくすごく長い眠りからさめた気分だった。

 

 

「好き」と「愛」の違いは 愛の中に好きが一つの要素としてあるのかな

自分の好きになれないところがあっても 愛していれば 時に諦めたり 時にそれを直す勇気をもてたりする。好きになれないけど、愛しているってことは ある。

 

好きになれないところは好きになれるように努力したら良い。というか努力して良いの。努力したいと湧き上がってくることにだけ 頑張りは使ったら良い。

自信っていうのは 自分が感じていることを信じる ってことなのかな。

ツイッターで話題のダイエット中よさわつばさ先生も、

「自分との約束は絶対破らない。破った瞬間から自分を信じる力が弱体化するから」

って言ってた。

 

好きになれなくても 愛したら良いんだと思う。