かわいいひと

「可愛い人」でも「かわいい子」「美人」「綺麗な人」でもなく、

「かわいいひと」っていうのは存在すると思う。

ウルフルズも歌っているように。

 

その人は職場の先輩で、三連休の中日に、鎌倉まで来てくれた。

緑色のギンガムチェックのワンピースと、トレードマークのリュックサックで。

 

とびきり美女なのに化粧っ気がなくて、それが更にうずらの卵をちょこんと乗せたような頭の形を際立たせている。手足が長いのに、あまり見せない。

自分を良く見せようとかは、あまり思考回路にないみたいで。

 

由比ヶ浜の海の家で乾杯するために駅から海までの道のりを歩き、一足1300円のサンダルを、「気に入ったから」「履き潰しても悲しくないから」という理由で同じ色のものを3足も買ったとか、話す。

私は彼女の、彼女なりの判断基準や、目に映るものや耳に入るものについて聞くことが好きだ。

一緒にいると、おしゃべりするよりもその人が話しているのを見る方が楽しい。

独特の視点と角度で出会ったものやことををまっすぐ切り取って、

その人に起こった出来事やその人の受け取り方を聞いている。

頭の中で起こっていることや経験してきたことは 

ここでは書けないような濃いことばかりなのに、擦れてはいない。

 

疑い深いのに、先入観が全くない。

信じられない勢いで物事を進めるのに、知らないところですごく傷ついている。

世間が欲しいものをたくさん持っているようでそれを全然欲しがっていない。

自意識があるのに、気持ち悪さはまるでない。

欲せば手に入るものもたくさんありそうなのに、最低限以上のものは欲しがらない。

 

ある種の純粋さを持ち合わせていないことを自覚している人は、

その瞬間を生きている彼女のアンビバレンスさに惹かれ、気がついたら保護者になっている。

 

「自分が美女っていう自覚はありますか」と聞いたら「最近、そう言われるってことに気づいた」と話す彼女の嘘のない目は、

人は何かになろうとしても無理で、自分のままでしか生きられないんだということを教えてくれた。不器用でもそのまま生きている姿に勇気をもらう人はたくさんいるよね。