書くことについて

長い間、パソコンというパソコンを持たずに生活をしてきた。

一度、当時付き合っていた人に新社会人祝いで買ってもらったsurfaceは、

なんだか小さくて使い勝手が悪くあんまり好きになれなかった(有り難く使ったけど、たくさん。でもワクワクすることには使わなかった)ので、それにお礼を伝えて下取りに出しつつ、1か月前に思い立ってMacBookビッグカメラで買ったのです。

 

なんかやっぱりリンゴマークのシンプルなデザインが好きだっただけなんだけど、実際に使ってみると、軽いし、早いし、iPhoneと互換性バッチリだし、ctrlがcommandに代わり、指の位置の記憶修正ができないこと以外は、あー買ってよかった!と思っている。

 

自分の中にあることを書いて見たいと思った動機はたくさんあるけれど

ひとつはMacで文章書いてたらかっこいいわな・・・と言う思いと、もひとつは

やっぱり、仕事でも生活でも想いや感じたことを言葉にすることへの苦手さを昔からすごく感じていて、表現できなくてもどかしい想いをしたりとか、近い人にもわかってもらえている実感を得られないこともあったことが、一番のそれだと思う。

 

表現された音楽や文学やコンテンツ、写真、絵でもなんでも 自分の感性を重ねあわせて共感することを 私たちは日常的に息をするようにするし、その好みは千差万別 色々な影響を受けていると思うけど、ここ2年くらいは 時折そういった行為が自分の中で「消費してばかりだな」とか、何も生み出していない実感を強めるものになったりとかで、ちょっとどう折り合いをつけていけば良いのかわからず迷ったりもしていて。

こうやって書くと、自分でもどんな大したもの書くねんとツッコミそうになるのだけど、始める前から、理想を描きすぎてその理想に押しつぶされ断念するのが私の悪い考え方の癖なもので、だから、自分ジャッジメント(良いも悪いも)せず、続けて行こうと思う。

 

私が書いてきたものといったら、

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だしね。笑

 

午後は歯医者に行ってきまぁす。